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FROM THE HARTNETT

Source:FLAUNT AUGUST(#56) 2004  TEXT:Shari Roman

「僕は世界が見たかったんだ。自由になりたかった」青く輝くスウィミングプールから顔をそらしながらジョシュ・ハートネットは言った。彼は平凡なTシャツと分厚いカレッジ風のショーツに包まれ長椅子の端で前かがみになった。「ミネソタの小さな町で育ったら、全てがいいってことはどこでもいいんだって気持ちになるよ。外に出るのが待ちきれないんだ」

ハートネットの右手は冷たい水の入った背の高いグラスを包み込んでいた。彼の左手はクッションに広がる新聞をおもちゃにしていた。「ブラックホーク・ダウン」や「パール・ハーバー」などメガ大作を含む、この6年間に26歳の彼が出演した半ダース以上の出演映画を記してきたのと同じような新聞だ。「特にここに住んでいた時は、僕自身がどんどん浮いているって感じたんだ。自分の存在がどんどん失われていってね」と彼は言った。「あるいは自分だと思った存在が」彼は被っていたアーミーキャップの中に黒い短髪をさらに押し込んだ。既に沈んでいた瞳に影がかかった。

私達はハートネットがロサンゼルスに来たときによく滞在するシャトーマーモントにいた。ここは彼がかつて住んでいたところからそれほど遠くない。ユアンやリドリーそしてベンとともにモロッコやハワイのような魅惑的な場所での映画撮影に行かないとき実際に住んでいた。

「それ(*撮影?)が始まるときは最高。完全に新しくなれる。その瞬間に生きていることが好きなんだ。次の日に何をするかは知りたくない。」

「アアアーーー!」プールに飛び込みながら海水パンツの青年は叫んだ。彼は弾丸のように底まで進み、大きな波を起こした。トップへくると、彼は嬉しそうにまた大声を上げた。「アアアーーー!」ハートネットの顔は輝き、はしゃぎまわる彼を憧れの目で見ていた。「プライマル・スクリーム療法みたいなものなんだ。自由と知識は中立になることで嘘をつくと思う(*?)。でも真実じゃないよ。」

プールにいる少年の制限のない叫びを越えて、ハートネットの声が辛うじて聞こえる。かれは細かく慎重に注意しながら考えをはっきり述べた。ソフトで深い声をわずかにあげる。「自分が浮ついていたら、時間をかけて自分自身と戦うんだ。そうすると自分自身に-衝動のどんなレベルにも-疑問を感じ始める。一番良いこと、自分が出来る唯一のことは自分自身...苦しい自分自身...になること。それからその内側で、間違いを起こすんだ」彼のしかめっ面は青空が広がるようににこやかな笑顔に変わった。「とにかく、僕は間違い無く頭の中での時間を使い過ぎたね」

ダブダブの洋服は、私が思うに、目的のある『普通の男』の無関心さを明らかに知らせていた。それはタイトルの上に名前が書かれる、彼の輝く名声とは反目する。これが彼自身なんだろうか?私は彼の使い古したビーチサンダルを見た。彼はつま先を動かす。「シンプルにしておくのがすごく好きなんだ。バッグを調べるのが嫌いだからTシャツを何枚かとジーンズを1組持って身軽に旅行する。」ハートネットが望んでいるのは筋肉をつけることだ。昨晩良き友人ヒース・レジャーと出掛ける間は、厳しいトレーニングを元気に休んではいたが。(ハートネットはもうすぐ3ヶ月間のローマへの旅路につき、ブライアン・デ・パルマ監督ジェームズ・エルロイ原作の「The Black Dahlia」でボクサーを演じる。そしてそのため砂糖とタバコとビールを控えなくてはいけない。)彼は命じられたトレーニング・ビタミンを何錠か飲み(昨晩の束の間の遊びを補おうと確実に)、タバコを無関心に吸う中年の男の方へ静かに頭を傾ける。his gut happily hanging over his tiny Speedo.

「それで、普通に戻ったんだ。『期待された』道って何だろう?」彼は質問した。「普通って何?『普通』って厄介な言葉だと思わない?」頭上で、普通の飛行機が空をかすめて飛んで行った。「僕の友達が(飛行機について)すごくクールな事を言ったんだ。鉄を浮かべる方法なんてどこにも無いんだから、飛んでいるのは、留まっているという事実を人々が信頼してるからだって。僕はそれが気に入った。」

これまで、信頼と決意とともに飛んで、ハートネットはカリフォルニア州サンフランシスコで生まれ、父親(アル・グリーンのギタープレイヤーで現在は不動産ビジネスで働いている)と義母(彼の実の母親は離婚後カリフォルニアに戻った)によってミネソタ州セントポールで育てられた。表面的には、彼の十代の前半は全く平凡に見える(そして、昨年『ハリウッドから2歩で戻り』ミネソタを再びホームベースにするほど、明らかに愛している)。冬は容赦無く寒いにも関わらず、彼は生活するのにとてもいい場所だと言った。「雪から生き残って得た名誉のバッヂだよ。」彼は3人の弟と妹を可愛がる無邪気な侍者だった。彼はフットボールをしたり、映画オタク(cinema-geek)の知識に没頭したクエンティン・タランティーノ・タイプのビデオ屋の店員として働きながら時間を過ごした。

16歳で、彼は文字通り一夜にして急激に成長し、最終的に6フィート3まで延びた(彼の背中には肉割れが未だに残っている)。また彼はひざの靭帯を断裂して、スポーツキャリアへのかすかな望みを消された。つねに舞台や芸術、映画(彼と彼の友人はデイリークイーンで強盗する短編を作っていたため逮捕されるところだった。しかし警官が来た時、彼が言った「助かった。僕らはただアイスクリームを食べてぶらついていたんだ」)への興味を示していたことから、地元の舞台(トム・ソーヤーのハック・フィンとしてお辞儀をした)への出演に簡単に移行していった。かれはそこでタレントエージェントに注目されすぐにコマーシャルの仕事(MervynのCMがハイライト)を見つけた。

「その歳のころは」彼は言う。「映画から人生や手がかりについてのアイデアを貰っていた」そして「トレインスポッティング」「バスキア」「ユージュアル・サスペクツ」「12モンキーズ」が公開されると(1995年から1996年の間)、「他の誰かになること」というアイデアに、とても興奮したと彼が言う。「僕は俳優になりたいんだってその時そこで決心したんだ」

高校卒業後、ハートネットは真面目になってSUNYパーチェスで技術を学んだ。しかし住み慣れる前に、短命のテレビシリーズ「Cracker(1997)」に捕らえられた。彼はクラシック映画風の見出しとセリフ - 具体的にいうと、善人は美形だがそれに気が付かず美形の悪人はその使い方をよく知っていることを要求するルール - は明らかに安っぽいと強く反対し目を引いた。

ちょうど6年前、ハリウッドは彼の役割を終わらせようと思っていた。「パラサイト」や「ハロウィンH2O」などの初期の役でハートネットは現実にはいないような反抗的で夢の少年を演じた。多くの青年のように、幻想への奉仕と青年時代のアメリカン・パーフェクションと呼ばれた俳優は、映画製作者のアイデアを企画するのに理想的なキャンバスだった。しかし早い時期に、もし顔だけの人間ならすぐ困ったことになるとハートネットは気がついた。ソフィア・コッポラの「ヴァージン・スーサイズ」でダークサイドを受け入れることを許可した時までは、そうではなかった。彼はキルステン・ダンストの純潔を堕落させるうぬぼれた下品な男を演じ、ティム・ブレイク・ネルソンが監督したシェイクスピアのオセロの現代版「O[オー]」では、嫉妬するイアーゴのキャラクターに試み、非常に素晴らしかった。親友(マカーイ・ファイファー)を永遠に苦痛させる運命に追いやる重要な場面がある。ハートネットの顔がリアクションするシーンは、脆さ、残酷さ、欲望、絶望を立て続けに印象を残し、最後のたったの数秒だが涙を流すのに十分だ。

用意された待機作は -ジョニー・デップ出演のハンターSトンプソンが創作した映画「The Rum Diary」(ベニシオ・デル・トロが監督予定だった)、ロバート・ロドリゲス監督の新作「Sin City」(フランク・ミラーが共同で監督し、ミラーの愛と不徳と堕落した街についての漫画が原作)、そしてソフィア・コッポラを通してハートネットが会ったおいしそうなミス・スカーレット・ヨハンソンと共演する前述のミステリー「The Black Dahlia」- 運命と私達の想像力次第だ。しかし今のところ、私達が楽しむのは、彼の最新のジャーニーであるフランス映画「アパートメント」を脚色したポール・マグギガン監督の「Wicker Park」だ。

ここでは、ハートネットの才能の可能性だけでは興行成績は生じず、裸で(彼の左肩にはとてもセクシーなケルト結びのタトゥーがある)共演のダイアン・クルーガー(トロイの象徴で美しいヘレン)を包み込むシーンを要求された。彼にはまた、痛みや悲しみを経験した内面にある暗い片隅へ近づく的確な普通ではない能力がある。このため、恐らく、彼にはおかしな無防備さがある。答えを、真実を探しているように見える彼の瞳にある好奇心は、彼が憧れの女性の目を見つめる時によく効く贈り物だ。

「ラブシーン!基本的には相性があって選ばれるんだ」彼は笑う。「未来を覗き込むような感じだよ。いろんな意味で当事者にとってはね。もし誰かを探しているんだったら、関係するかどうか見極めるのにちょうどいいお試し期間になる。」と彼は意見を述べた。「でも総合的に考えると、Wicker Parkで僕が個人的にした仕事は気に入ってない。もちろん、映画はうまくいったよ。マクギガンはすごくいい。(何故かというと)僕がすごく悪い場所にいたんだ。」(マクギガンは「ギャングスターNo.1」「アシッド・ハウス」を監督した、ひねりの効いた才能の映像作家だ)

彼は女性と恋愛関係についての煩わしい質問に近づくのを辛うじて避けて、長い沈黙と笑顔で中断した。帽子を強引に引っ張って、咳払いをして続けた。

「僕は「ハリウッド的殺人事件」の撮影をしていて、そこでの問題がWickerにも入ってきた。脚本を読んでキャラクターをダイナミックに創るまで数週間あるはずだったんだ。映画の半分にフラッシュバックがあるから、代わりのリズムを構築したかった。個人的なサブテキスト(言外の意味)だよ。サブテキストが全てなんだ。それが全て」彼は強調した。

「でも時間の制約があって、僕が望んだ方法でキャラクターを肉付けする機会が無かった。自分がしたかったことや 毎日出来なかった事をしたっていう感触がないんだ。そういうことが出来ないと、毎日猛烈に働いたとしてもまるで半分しか出来ていないように感じる。すごくいらいらしたよ。特に自分のすることに情熱を持っている場合はね。」

疑いもなく彼は情熱を持っている。結局これは「ヴァージン・スーサイズ」でのトリップ・フォンテインのキャラクターの考えを引き出すために、作者のジェフリー・ユージェニデスを尋ねたのと同じ俳優だ。そして慎重にキャラクターを創作するという欲のため、一例として、Wicker Parkでの仕事と彼が情熱を注いだプロジェクト「Mozart & the Whale」でやり遂げた仕事の間にある『大きな違い』を引き合いに出す。ノルウェイのピーター・ナエズ(Ellingで2001年アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされた)が監督する作品で、1995年のロサンゼルス・タイムズの記事にインスパイアされた、自閉症の一種でアルバート・アインシュタインも発症していたと言われるアスペルガー症候群に苦しむ2人についてのラブストーリー。数ヶ月間働く間に、ハートネットはキャラクターの肉体的、精神的な癖と同様に、不規則に開放されたり閉鎖される人々の二重の感情的なものの見方に飛び込む事が出来た。

「彼らは顔を見ることができるんだ、多くの人と違って、彼らは人を見ることでどう感じるか知らない。それから、アスペルガー症候群の数人は人の顔を見ることに恐怖も感じる。彼らはその人を読み取ることが出来るけどその相手は読み取れないから。すごく自由に感じて、キャラクターを核心まで理解できたのは「ヴァージン・スーサイズ」の時以来初めてのことだよ。僕が出来た…」

「…すみません、すみません!」紐につながれた元気な犬を引っ張り必死の女性がハートネットの方へ駆け寄ってきた。しかし、彼女はサインを探して彼を邪魔しに来たのではない。「電話が鳴っているのが聞こえますか?」と彼女が尋ねた。犬がハートネットの長いすの周りを走り、女性を彼の後ろに引き付ける。彼女は電話を失って取り乱していた。彼女の瞳は頭から飛び出しそうだった。「その中には私の人生が入ってるの!携帯を見つける為に、電話をかけたいのよ。あなたは電話を持っている?」彼は好意から携帯を差し出した。彼女は感謝し、電話を急いで取ってダイヤルした。微かな呼び出し音が聞こえた。「そこだわ」彼女は熱狂した。犬のひもを落として音の方へ向かうと、彼女は木の茂みで飛び跳ねた。

「ヘイ、パピー」犬がプールの中へ疾走しないように、電話と犬に目をやりハートネットは言った。彼は必死に笑いを堪えていた。

「これっておかしいね」彼女に聞こえない距離になると彼は言った。「電話を見つけた途端、彼女は自分の犬のことを忘れた。人生の中で重要なものが分かって良かったよ。」

「癖を抑える」傾向(それは彼が毎日の生活に取り組む普通の方法と手段)があるとハートネットは認める。彼は最近恐怖を打ち破る方法を見つけた。その恐怖とはハリウッドではないが、恐らくそれと近い親類である:サメ。

「サメにはゾッとするよ」彼はきっぱりと言った。「子供のころ、僕は異常なほどサメに興味を持っていたんだ」そして数年前バハマで親友が結婚することになり、親友はハートネットに人がサメと一緒に泳ぐ場所があると話した。

「それで僕と僕のその時のガールフレンド(長年の高校時代の恋人、エレン・フェンスター)と、彼と彼の奥さんそれから友達みんなで行ったんだ。20フィート下にバケツ一杯の撒き餌さ(切り刻まれた血まみれの魚の破片)を落とした場所に、ガイドが僕達を連れてきた。」

「突然、2,30匹のサメが水中にやってきた。メジロザメ(reef sharks)で、巨大ではなかったけど人を傷つけるには十分大きかった。サメが居たとき、僕達は水中にいたんだ。だけど腕を動かしてもゆらしてもいけない。そのまま浮かんでサメがえさを食べるのを見てないといけないんだ」

彼はさりげなく言った。「サメに触れられるぐらいすごく近かったんだ。思っていたより怖くなかったけど、後になって仰天したよ。内面的な力にある大きなセンスを感じた。人生での大抵のことのように、その経験は僕が予想していたものとはまるで違うものだった。」

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